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Episode-4
~ Zugzwang ~

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 翌日。
 外は生憎の雨模様となり、道行く人は皆雨具を着けている。酒場の客は晴れの日よりもまばらで、テラス席には幽霊だろうと座っていない。店のドアの前で傘をパタパタと振って雨露を掃うローデリヒの次にやって来たのは、雨具を着けずに歩き、ビショビショに濡れたヴェンツェルだった。
 「おいヴェンツェル……天気予報は一日中雨だったぞ、なのにどうして雨具がないんだ?」
 「……降ると思ってなかった」
 「まあ、とにかく入ろう。君の細い身体では風邪を引いてしまうよ」
 二人は急いで酒場の中へと入り、ローデリヒはすっかり顔なじみになったマスターに酒とタオルを頼んだ。冷気に当たらないようにドアから遠く離れた奥の席に座って一息つく。席に着き暫くすると、マスターからずぶ濡れのヴェンツェルに数枚のタオルが渡された。ヴェンツェルはすぐにタオルを手に取ると、いの一番に顔を拭いた。

 ローデリヒは、眼帯の上から顔を拭うヴェンツェルを心配そうに見つめていた。ヴェンツェルが眼帯で隠す左目は、過去にアンパッサン事件によって怪我をした箇所である。事件に詳しくないローデリヒは、少しの間を開けてからヴェンツェルに尋ねてみた。
 「その、眼帯の下は痛くないのか?」
 「慣れた」
 「治療は?」
 「しない。いらないから」
 ヴェンツェルは口をすぼめ、濡れた後ろ髪をタオルで拭き始めた。“しない”という言い方が引っかかり、ローデリヒはヴェンツェルの左目について、彼のめんどくさがりな性格を承知の上で訊こうとしたが、あえて深入りしないことにした。

 しかし何回も溜息を吐くヴェンツェルを退屈させないようにか、ローデリヒの開けた口は塞がることを知らないようだった。
 「まいったな、ハイルブロンの怪人はとっくに解決したと言うのに、なぜアンパッサン事件はこうも長い間ほったらかしなんだ……本当に、ヴェンツェルがかわいそうだ」
 「他はかわいそうじゃないのか」とヴェンツェルが呟くも、文句を垂れるローデリヒや酒場の環境音にかき消されるのが解ると、目を細め再度口をすぼめた。そんな子供のようにいじけるヴェンツェルを見たローデリヒは、ヴェンツェルと真剣な話し合いをする為にここに来たことを思い出し、表情を改めた。

 「そうだ、アンパッサン事件についてなんだが……当時の状況について知りたい。話せるか?」
 ローデリヒの語句の後にもどかしい間が生まれたものの、ヴェンツェルがひとつ溜息をついてからコクリと頷く。ヴェンツェルが意を決して喋ろうとしたタイミングでローデリヒの目の前に注文した黒ビールのジョッキが置かれ、それから再度ヴェンツェルが話し始めるまで10秒程の何とも言えない間ができた。

 「どこから話せばいい?」
 「話しやすい所からで構わない。無理しないように、覚えてる範囲で」
 ローデリヒは一口分の黒ビールを喉へと流しながら、ヴェンツェルの言葉に耳を傾けた。


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この作品はフィクションです。
実在する人物や団体、事件や情勢などとは関係ありません。


 

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