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Episode-4
~ Zugzwang ~

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 「納得したか」
 ヴェンツェルは一息ついてから唖然としているローデリヒに声を掛けた。
 「ああ……君の事を改めて理解できた。楽しかったよ」
 ローデリヒは席を立ち、悔しさを微塵も感じない満ち足りた笑顔をヴェンツェルに向け、手を差し伸べ握手を求めた。今までのヴェンツェルであれば握手を求められても何の感情も沸かなかったが、今日は違った。恐る恐るながらも白く華奢な手を、しわがれてはいるが強健な手にゆっくりと伸ばし、力強く握手を交わした。
 ローデリヒの握る力が強く少々痛みを感じたが、今だけはその痛みも許せた。普段であれば痛すぎて文句を言うところだが、今日ばかりは「こういうのも悪くないな」と静かに思うのであった。

 「ヴェンツェル、最初のアレはなんだ!? アンデルセンオープニングだなんて、また珍しい事を……」
 握り合っていた手を離した途端、ローデリヒが無邪気な子供のように喋り始めた。
 「普通なら殆ど指さないマイナーなオープニング、一度劣勢に陥って悪手を指す……しかしそこから優勢にのし上がる……そうか、ヴェンツェル・ツア・ミューレンにしかできない、魅力的で面白いチェスだ! ハハハ!」
 出会ったばかりの時のような輝かしい目つきでペラペラと話すローデリヒ。対していつものようにああ、そう、と適当な相槌を打つヴェンツェルであったが、ローデリヒは彼のその仕草に何故か微かな成長を感じて、嬉しくなった。

 「やめてよ、変な気分になる」
 「照れくさいんだろう? いや……私こそお喋りが過ぎるのが良くない。言いたい事なら山ほどあるが、君にはもっと短い感想を送った方が喜ぶかな」
 「いらない、余計なお世話」
 ヴェンツェルは3回ほど空中を手で掃い、腕を組んだ。身振り手振りをしてまで称賛を拒むヴェンツェルにローデリヒは疑問を抱くが、質問したところでロクな返答はないだろうと考え、チェスセットをケースの中へと片付けて席を立つヴェンツェルを見送った。

 時刻は既に夜の7時を過ぎており、街頭や建物内の灯り、そして月明りだけが二人を照らしている。対局が終わった後の周囲は人だかりも落ち着き、騒がしくない程度の賑やかさだけが聞こえてくる。
 ローデリヒはもっと多くの事をヴェンツェルから聞いてみたかったが、互いの事情を考慮して引き留めないことにした。しかし小さく手を振り背中を見せるヴェンツェルを見て、ローデリヒは堪らず声を掛けた。
 「ヴェンツェル! 次会ったら、またいろいろ話そうじゃないか!」
 ローデリヒが言い切った途端、ヴェンツェルの足はピタリと止まり、僅かに振り返った。
 「……どうせその辺で会うだろ。アンタのことだから」
 溜息を交え、ローデリヒの行動を分かっているような返答をしたヴェンツェルは、踵を鳴らしながら帰路へ着いた。


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この作品はフィクションです。
実在する人物や団体、事件や情勢などとは関係ありません。


 

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