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Episode-4
~ Zugzwang ~

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 次々と繰り出されていくローデリヒの話は、いつものヴェンツェルであれば軽く聞き流してしまうような内容だった。しかしローデリヒの四方山話をラジオを聞くように適当に受け流しながら、その四方山話を語る老人の手によって駒が整列されていく様子を眺めるというこの状況は、なかなか平静を保つことができなかったヴェンツェルにとって助け舟となった。
 耳に流れてくる雑談と、盤上で坦々と整頓を繰り返す駒を頼りにして群衆の声や視線から意識を遮断し、眼前にいる対局相手であるローデリヒただ一人に集中できるよう対面を見つめ、深呼吸をして神経を研ぎ澄ます。

 最初は知り合いでもないのにいきなりプライベートに割り込んでしつこく話しかけては突然対局を申し込んでくるという失礼な男だったローデリヒ。そんな迷惑者だった彼と向き合う今のヴェンツェルの感情はいたって前向きだ。
 何故なら、今までアンパッサン事件の関係者であるにも関わらず「どうでもいい」と投げ出していたヴェンツェルを、心から助けたい、一緒に事件を解決しようと豪語した人間は、ローデリヒと出会うまで誰も居なかったためだ。

 「……こんな人も居たんだな」
 緊張がほぐれたように、ぽつりとヴェンツェルが呟いた。
 「どうした?」
 「いや、別に。で、話の続きは?」
 胸にしまおうとしていた言葉をつい口に出してしまったヴェンツェルは、誤魔化すようにローデリヒに話を続けさせ、自分は何事もなかったかの如く深呼吸を繰り返す。よくもまあここまで温厚篤実な人物がこの世の中に居たものだ、というローデリヒへの関心は、ヴェンツェルから不安を取り去り、十分な信頼を生み出していた。

 「昔の私は、厳しい教育の合間を縫って趣味のチェスまでも事細かく覚えてしまったよ。大会に出ていた時は当然良い成績を記録したが、今の私はチェスプレイヤーらしい事が出来ずにいる。だからこないだ、君を見たときにチャンスが来たと思ったんだ」
 「それで俺に話しかけたのか」
 ようやくヴェンツェルがまともに口を開き、話に乗ってきた。ローデリヒは一瞬だけ驚いた表情をしてから話を続ける。
 「そう、そうだとも! 私が帰国してから初めての対局になるかもしれないんだってな!」
 「……ようやく叶うんだな」
 何気なく返事を返せるようになったヴェンツェルを見てローデリヒは笑みを浮かべ、それに釣られるようにヴェンツェルの目つきも自然と和らいでいた。


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この作品はフィクションです。
実在する人物や団体、事件や情勢などとは関係ありません。


 

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