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Episode-4
~ Zugzwang ~

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 「心配するべきは、私の腕が鈍っていないか、だな」
 そう呟いたローデリヒは、ひとつを除く全ての駒を並べ終えると、ヴェンツェル自身の手で最後のピースを並べてもらおうと白のキングを渡した。ヴェンツェルが駒を受け取り、所定の位置に置いた途端にローデリヒの笑みが不敵なものへと変わったような気がするが、ヴェンツェルは臆せず真っ直ぐに睨み返す。

 「君との対局を待っていたよ」
 「……先行は頂く」
 「良いとも。私は黒をよく使うからね」
 両者の軽い溜息から始まったヴェンツェル・ツア・ミューレン対ローデリヒ・カーマンの静かなる盤上の戦争。公式戦という訳ではないため持ち時間などはないが、互いに真剣な眼差しを向けあった。

 先手ヴェンツェルが置いたポーンは、盤の端を進むアンデルセンオープニングを展開する。対し後手ローデリヒは盤中央を制するように駒を置く。しばらく互いに駒を進め、時には相手の駒を奪っていく。
 途中、ヴェンツェルはいとも簡単に劣勢を許してしまった。その状況をローデリヒが見逃す訳もなく、黒駒の動きは次第に攻撃的になっていく。

 「さぁ、どっちか選べ! このまま前へ進むか? それとも敗北か?」

 ローデリヒが高らかに一手を進めた。その瞬間にヴェンツェルを待ち受けたのは、必ず悪手を指さなければいけない最悪な状況、ツークツワンクだった。
 通常、ツークツワンクに陥ると脱するのは難しく、ルール上パスが禁止されているため場合によっては投了を考えなければならない。この時ローデリヒが笑顔を崩さなかったのは、ヴェンツェルが呆気なく敗北していく様を想像して面白く感じたからだろう。

 しかし。

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 ヴェンツェルはこの最悪な状況、ツークツワンクを待っていた。
 最悪な一手として動かされた白のポーンを始めに、一手、また一手と駒を進め、ヴェンツェルが格好だけの男ではない事が証明されていく。ローデリヒは経験したことのない局面に翻弄されていき、疑問手が目立つ。黒のキングは捕獲されぬよう攻撃を避けながら必死に動かされるが、それがかえって自ら逃げ道を塞いでしまう形となった。
 「なんだと? こんな事が!」
 「チェック」
 向けられた数多の剣を容易く折っていくような、鮮やかなタクティクスを展開したヴェンツェル。最後に白のクイーンで黒のキングの身動きを封じ、ローデリヒの敗北が決定した。

 今までにない負け戦を味わい驚いたローデリヒは、周りの観客と共に拍手を打ち続ける。
 この対局で行われた思惟作用の鍔迫り合いは打弦楽器が如く壮麗であり、勝利への意思を秘めた風光明媚な二者が置く駒の音もパーカッションのように心地よく聞こえていただろう。

 自ら逆境に立ち、自ら乗り越える逆転劇。これこそヴェンツェル・ツア・ミューレンが、界隈では有名なチェスプレイヤーである所以だった。


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この作品はフィクションです。
実在する人物や団体、事件や情勢などとは関係ありません。


 

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