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Episode-3
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 「パパ、パパってば! アタシ、このヴァイオリンに決めた!」
 物置の出入口からなにやら賑やかな声が聞こえる。出入口の向こうを見ると、ラーラがヴァイオリンを両手に抱えながら父親を呼びかけていた。二人はラーラの存在を忘れるほど会話にのめり込んでいたのだ。
 「ラーラ! すまない、ヴェンツェルとうっかり話し込んでしまったよ。それ、買うのか?」
 「うん、このヴァイオリンの音が好きになったの! あっいや、待って、まだ買いたくない……持ち歩いたら、男子に演奏しろって、からかわれそうで……もう少し、家のヴァイオリンで練習してからが良いな」
 照れくさそうなラーラの笑顔は、父親であるローデリヒによく似ている。そんな事をぼんやりと思いながら、ヴェンツェルがラーラに話しかけた。
 「……そのヴァイオリン、買うの迷ってる?」
 普段なら、ヴェンツェルから話しかけるなど滅多にない。ヴェンツェルは意識的に、自ら進んで会話を試みようとしている。
 「取り置いてあげるから、買いたくなったらまた店に来てよ。ナータンさんにも伝えておく。きっと、良いって言ってくれる」

 

 「なんて言ったの?」
 ヴェンツェルの言葉は決して悪いものではなかった。ただラーラがドイツ語を分からなかったため、キョトンとしてしまっただけだった。その様子に気づいたローデリヒが慌てて通訳に入ると、ラーラは満面の笑みを見せ大喜びした。
 「悪いねヴェンツェル! イタリアで生んだ娘だから、遊び心たっぷりなドイツ語は伝わらないんだ」
 「そっか。俺も賑やかで世渡り上手なイタリア人が使う言葉は分かんないな」
 ラーラの仕草だけを見て何となく意味を読み取り、若干格好よく言ったつもりだったヴェンツェルは大きく肩透かしを食らった。



 話がまとまり、後にラーラのものになるヴァイオリンは楽器店に大切に取り置かれ、その後はたまにラーラが練習でヴァイオリンを引くために楽器店を訪れることとなった。
 そして楽器店のレジスターには、ナータン店長が貼った紙の上から、ヴェンツェルの字で書かれた紙が貼られた。


 ――
対応済。


 ひと仕事を終えたヴェンツェルはカウンターに寄りかかりながら、満足そうな顔をして店を後にするローデリヒ親子を見送った。
 「今日は世話になったな! 次は盤を囲えるのを楽しみにしているぞ、ヴェンツェル!」
 「ああ、じゃあな」

 ガチャリとドアが閉められる。静寂が訪れた夕方の楽器店で、ヴェンツェルは一つ大きな溜息をつく。
 今日一日がいつも以上に長く感じ、ヴェンツェルは途轍もない疲労を感じていた。しかしローデリヒ親子と接したことで心境が変化し、今まで自分が面倒がってあえて避けてきた行動を自らの意志で成すことができたのだ。
 前に進み続け、相手の陣地まで辿り着いたポーンがナイトに成り上がるように、ヴェンツェルという人は変わった。

 

 


 「……爺さんおっせーな、ビールの飲み比べでもしてんのかよ」
 ヴェンツェルは小言を言いつつ店の入り口にある「OPEN」と書かれたドアプレートを裏返し、表示を「CLOSED」に変えようとした。その瞬間、視線の先にべろべろに酔った店主が飲み仲間に連れられて帰ってきている様子が見えて、ヴェンツェルは小言が現実になってしまったことを憂い、また一つ大きな溜息をついた。


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この作品はフィクションです。
実在する人物や団体、事件や情勢などとは関係ありません。


 

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