
Episode-1
~ Opening Game ~
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【2020年、4月中旬】
ドイツ東部、ブランデンブルク州ラーテノーにある酒場・シュトラーセ。
カウンター席の真ん中では、店内の誰もが注目する盤上の戦争が繰り広げられていた。
帽子の男が白い駒を巧みに操っていくと、黒駒をつまむ常連客の手が思考と共に止まり、状況はあっという間に終盤に差し掛かる。
白のビショップが斜め2マス先へ移動された時だった。黒のキングを狙うような位置に付き、帽子の男は王手をかけた。
「チェック」
その近くには他の黒駒もあったが、それが逆にキングの逃げ道を塞いでいるように見えた。邪魔な駒をどかす為に一手を使おうものなら、間違いなく白のビショップが黒のキングを捕りにかかる。
「ま、待て……いや、これはナイトが……ダメだ。わからん」
相手をしていた常連客は自らの手で黒のキングを倒し、お手上げのポーズをとった。
勝利を確立し、ふう、と溜息で返事をした帽子の男に向かって、周囲からほどほどの歓声と拍手が送られた。
「おいおいヴェンツェル! 一体いつまで勝ち続けるつもりだ?」
対局していた人とは別の常連客が、帽子の男・ヴェンツェルにガヤを飛ばす。しかしヴェンツェルはそれに答えず、見向きもせず、素直に勝ち誇ることなどもせず席を立つ。
カラリと氷の音を立て、飲み物を全て胃の中に入れたヴェンツェルは、チェスセットごとテラス席まで移動する。時折フラつく足取りは、酒場においては心配されることはない。
やや冷たさが残る春の風が当たり、左右で長さの揃わない髪を靡かせる。広々としたお気に入りの場所に居座り、ヴェンツェルは自身が得意とするタクティクスの研究を始めた。
白駒を指で突き、倒しては立て直す動作を繰り返す。狐の如く鋭い目つきで駒を弄ぶヴェンツェルの様子は、一目ではとても研究しているようには思えない。
一方で完敗を期した常連客の男は、酒場のマスターに愚痴をこぼしていた。
「まただ! ヴェンツェルは普通のチェスができないのか?」
「仕方ないですよ。幼い時から今までずっと、あんな感じです」
「言っちゃ悪いけどムカつくね。こっちがあと少しで勝てそうって時に、急に本気を出すんだから」
「彼はいつも本気じゃない」
マスターの一言が無情にも男の胸にグサリと刺さる。
「んぐぐ……舐めやがって」
憎きヴェンツェルを睨む為か、常連の男は勢いよく振り向くと、見知らぬ人がヴェンツェルに話しかけているのが見えた。
「ありゃ誰だ? 近所じゃないな。マスターは?」
「見たことないですね。彼にあんな知り合いが居るなんて聞いたことないな……」